富士宮に暮らす人のライフスタイルインタビュー。第七回目は富士宮で生まれ、それぞれUターンをし、家業を継いだ遠藤洋晃さんと、家業と共に英会話教室を運営する隆行さんご兄弟にお話を聞きました。
富士宮市上井出出身/2005年にUターン/
遠藤自動車 代表取締役
富士宮市上井出出身/2005年にUターン/
遠藤自動車 勤務/E-Garage英会話 運営
生まれも育ちも富士宮の上井出で小学校は上井出小、中学校は西富士中です。田舎らしく通学途中で木イチゴやアケビを食べたり、地元の教室で剣道を習ったり。また、近所の教会で牧師さんが開いていた英語教室にも小学校5年生ぐらいから通っていました。そのおかげで英語が得意科目になって、英語が苦手な友だちに教えているうちに人に教えるのって楽しいなと思い始めて。それがきっかけで英語の先生をめざして東京の大学に進学しました。専攻は英米文学でしたが、英語ばかりの大学生活でしたね。
三男なので自分が家業を継ぐことはないと思ってましたが、兄が2人とも実家を出ていて、跡継ぎがいないことがずっと頭にありました。就職活動で内定をもらっていたんですが、その気持ちを父に伝えたら、継いでくれるなら嬉しいし、ここで終わらせるのはもったいないとも。でも、決して強要はしなかったですね。それでやってみようと決めました。ただ、英米文学しか勉強してこなかったので、本当に車のことを何も知らなかった。当時、会社ではメインでスズキの車を販売していましたが、こういう小さな販売店での販売台数がスズキ全体の8割を占めていたんです。だからスズキ社内に販売店の跡継ぎを養成するコースがあって、そこで学ばせてもらうことになりました。
ここ富士宮の上井出で生まれ育ちましたが、小さいころ裏の峰山という小さな丘で犬と一緒に走ったりしてよく遊んだのがよい思い出です。高校も弟と同じ日本大学三島高校で、家から片道2時間かけて通いました。大学は東京で日本文学を専攻。教職に興味があったので教員免許を取って国語の先生になるつもりでしたが、僕も教会の英語教室のおかげで英語が得意になっていたので、その英語力を失いたくなかったのと、大学4年間ずっと国文学に打ち込んだので、むしろ英語への意欲とか海外文化への関心が湧いてきて、留学という選択をしました。留学先はアメリカ中西部のネブラスカ州。雰囲気は富士宮に近いのどかな町で4年半ほど過ごしました。
帰国直後は、アメリカで留学生仲間に日本語を教えたことが楽しかったので、またどこか海外へ行って日本語の先生もいいなという思いもありましたが、地元の英会話スクールに就職することに決めました。迷いがありながらも、子供たちの成長を見るのが楽しくて、気がつけば10年たっていた感じです。そんなとき少し体調を崩して、ちょうど父も母も高齢で体力的に会社の業務が厳しいという事情もあって、英語の先生から一転、事務を担っていた母に代わって入社することにしました。その後、講座に通って3級整備士の資格も取り、今では事務の仕事をメインにしながら、軽整備も手伝っています。