富士宮に暮らす人のLIFE STYLEインタビュー。第六回目は埼玉で生まれ、就職をした後、富士宮市で林業の会社に就職。イベントで珈琲も出店する山室聡さんにお話を聞きました。
埼玉県出身/2021年に富士宮市柚野へ移住
(現在は芝富)/自家焙煎珈琲きのわ店主
一児の父
生まれは埼玉県の春日部市です。小学校は少年団、中学校はクラブチーム、高校は部活と、ずっとサッカーをしていました。高校卒業後は栃木県にある宇都宮大学の農学部森林科学科に進学しましたが、きっかけは小学3年か4年のときに学校の授業で見た仕事紹介での林業の風景です。実際に木を切っている映像がとても印象に残って。縁の下の力持ちとして自分たちの目に見えないところで、こんな活躍をしている人がいるんだ、林業ってかっこいいなと思ったんです。それから将来は林業の道に進もうと考えました。カブトムシやクワガタを採るのが好きだったことも森林に興味をもったきっかけかもしれません。
大学では林業を専門的に学びましたが、就職先はハウスメーカーや工務店、県庁の林政課など、実際に木を切る仕事に就く人はほとんどいませんでした。木から離れすぎる仕事は嫌でしたので、木材の卸問屋に就職しました。そこで2年半働き、木材の流通などとても勉強になりました。ただ、毎日が同じことの繰り返しでこのままでいいのかと感じてしまい、もっとチャレンジしてみたい気持ちが湧いてきたとき、東京に出ていた友だちが一緒にビジネスをしないかと誘ってくれ、上京を決意しました。いわゆるネットワークビジネスに近いものでしたが、その活動を土日を中心にしながら、平日は川崎重工業のヘリコプターのエンジンなどを扱う部署の営業事務職で派遣社員として働いていました。
その頃の生活はかなり困窮していました。当時会社の同期だった妻も上京して一緒に生活していたのですが、彼女が全然幸せそうじゃなくて。それで何かこれは違うんじゃないかと違和感を持ち始めたんです。また、自分が本当にやりたいことを仕事にしている人や地に足をつけた暮らしをしている人に出会ったことで、そこからだんだんと外に目が向くようになって、人生の幸せとか本当の豊かさとは何かを考えるようになりました。東京に住んでいると消費してという感覚がすごく強いんです。お金は稼いでるのに、ただそれを使ってるだけ。だからこれからは手に職をつけるというか、自分たちで何かを生み出せるような力、たとえお金がなくても食べていけるような力を身につけたい。でもそれは東京ではないと思いました。
そこから千葉や長野、山梨、静岡など二人で移住先をひたすら車で探し回っていましたが、大学時代にサークルを通じて知り合っていた静岡の先輩が富士宮に家を買ったタイミングで再会し「良かったら一緒に住まないか」と声をかけてくれたので、そこにシェアして住むことになったんです。次に仕事を探しましたが、やりたかった有機農業は少人数でやっている農家さんが多くて求人がない。ならばと林業を探そうと出会ったのが森林整備などを手掛けているフォレストラヴェルという会社でした。ただ、林業の募集は経験者のみで、森旅カフェという林福(林業と福祉)連携事業のアルバイトもすでに別の方に決まっていました。ですが、一度話を聞いてみたくて問い合わせたところ現場を見学させてもらえることになり、社長と話をしているうちに働いてみないかと誘っていただき、就職することになりました。