lifestyle interview #04 富士根

富士宮に暮らす人のライフスタイルインタビュー。第四回目は東京で生まれ、就職をした後、富士宮市でギャラリーをオープン。富士と富士宮市でイベントも開催している佐藤吉法さんにお話を聞きました。

子どもの頃の思い出は地元東京の光が丘公園、
動物が好きで環境系の大学に進学しました。

生まれは東京都練馬区、小学校から高校までずっと実家から通学していました。小学生のときは自宅近くの光が丘公園という緑豊かな公園で友だちと遊んだり、一人で散歩をしたりという日々でした。高校卒業後は、動物がとても好きだったので動物に関わる仕事がしたいと思い、埼玉県の森林公園にある立正大学の地球環境科学部に進学しました。大学では気象や地球を取り巻く環境を学んだり、フィールドワークが主でしたので学校の周辺の土壌を調査したり。大学では家畜も飼っていたので、交代で世話をしていました。動物好きで気の合う仲間がたくさんいたので、とても楽しかった思い出があります。

最初の就職先はイベント運営会社、
形が残るものに携わりたくて建築の世界へ。

大学の主な就職先は研究機関だったのですが、自分には向いていないと思いたまたま見つけたイベント会社に就職しました。その会社で3年ほど、日本武道館や迎賓館など大きな会場で音楽ライブや行政のイベントに携わっていました。ただ、1日で会場を建てて1日で壊すことを繰り返していくうちにだんだんと、残るものを作りたいと思うようになっていきました。そこで、建築であればもっと長い年月残っていくだろうと考えて建築の仕事に転職しました。ちょうど東京オリンピックのときだったので、毎日とても忙しかったです。東京中目黒にあるスターバックス リザーブ ロースタリー 東京やMUJI HOTEL GINZAで現場監督を担当していました。

アルバイト先の喫茶店で出会った作家もの、
作家と人を繋げる仕事をしたいと思いました。

大学時代のアルバイト先が小さな喫茶店だったのですが、そのお店ではコーヒーやケーキを提供するお皿やカップなどの器に作家ものを使っていました。そこで初めて作家という存在を知り、いつか自分の生活にもそういった器を取り入れたいと思っていました。その後、建築の仕事をしながら建物を作るだけではなくて、その場所に集まる人の流れを作ってみたいと思うようになったのです。そのときにたまたま出会ったのが、東京の雑司ヶ谷で開かれている「手創り市」でした。そこでクラフト作家さんが自分で暮らしに寄り添う品々を売っている姿を見て、自分が気に入った作家さんと人を繋げることをしてみようと考え始めました。

将来暮らしたいのは東京ではないと直感、
パートナーの出身地で見つけた絶景の場所。

富士宮はパートナーの出身地だったので、年に1回ほど遊びにきていたのですが、富士山もあるし駿河湾も見える、自然豊かでとてもいい場所だと感じました。クラフト作家さんのイベントを仕事にしたいと思ったとき、場所は東京ではないなっていうのが直感であったのです。それは幼少期から夏休みに遊びに行っていた母の田舎が居心地よかったからかもしれません。自分が将来暮らしたいのはたぶん田舎だろうと。富士宮で土地を探し始めて今の場所を見せていただいたら、景色がものすごく良くて。目の前が畑で、そのままなだらかに駿河湾まで降りていく傾斜に、振り向けばそこには富士山がある。もう迷わずここに決めました。